2009年10月23日

自転車で探すユートピア

yoshimihyakuana.jpg吉見百穴(よしみひゃくあな):東武東上線「東松山」駅から東へ徒歩2〜30分。古墳時代の横穴墓群の遺跡である。天然記念物のヒカリゴケが自生していることでも知られている。
 むかし、友人UH君と二人で東京練馬からここまで、約40kmを小さな子供用自転車で往復した。川越街道をひたすら走ったのだろう。爆走するトラックや自家用車にひやりとしながら走った覚えがある。関越自動車道はまだ影も形もなかった時代だ。
 少年のころ、自転車に乗るということは何かを探す冒険のようなものだった。線路づたいに走るときは電車になり、幹線道路ではバスだったり、急な坂道では飛行機にもなりながら何かを探している。いつのころからか自転車はモーターサイクルに代わり、もう電車になったり飛行機になることはなくなったが、あのころの何かを探す思いは未だ心の中に潜んでいるようだ。 今は自分の足で歩くことが楽しくなった。リタイアしたら安宿に泊まりながら、ひたすら野に山に歩く一人旅をしたいと思っている。表題は、中山うり「夏祭り鮮やかに」の歌詞の一部をもじって。

中山うり「DoReMiFa」中山うり「DoReMiFa」
 3年ぐらい前、iTunes Storeの「今週のシングル」という新人をPRするためのコーナーで彼女の曲を聴いたのが始まり。アルバムを聴いたりコンサートにも出かけた。代々木の会場では、レパートリーのひとつに曲をカバーしている関係で、あがた森魚が挨拶に来ていた。 久しぶりに見たぁという感じ。 彼女の歌は、はしゃがない、押しつけがましくない、声高じゃない、聴き手の情感を邪魔しないところが気に入っている。
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2009年04月22日

たんこぶアトム

手塚治虫とボクたち ある年の夏。練馬春日町から自転車に乗って富士見台まで会いに行った。一緒に漫画を描いていた友人HT君と、初めは他数人で訪ねて行ったと思う。いつもお弟子さんたちに玄関払いだった。「今、先生は忙しいから私が描いてあげよう。」と言ってスケッチブックに絵を描いてボクたちに渡した。内心(そんなの欲しくないなぁ)と思った。
 日を違えて、今度はHT君と二人だけで行った。またまた、前と同じようにお弟子さんに「先生は今忙しいから」と玄関払い。すごすごと門の外に出ようと歩いていた時、背後から「お〜い、君たち!」と呼ぶ声がした。振り返ると、2階から手塚先生が笑顔で手招きしていた。その時の手塚先生の声色と、建物の白さは今でも忘れていない。
 お弟子さんたちとは違うスタッフの方に案内されたボクたち二人は、1階の制作室にあった棚の原画を何枚も何枚も食い入るように見ていた。それから2階の手塚先生の部屋に通され、アイスクリームをご馳走になりながら話をした。そして図書室に入り、「ここにある本、2冊以上あるものならどれでもあげるよ。」と言われた。壁に設えた背の高い本棚が、入り口から奧まで手塚先生の本だけでびっしりと埋まっている光景に目を見張りながら、ボクたち二人は、もう興奮で、緊張で、うれしいやら、どうしていいやら、どれにしようかと・・。貴重な初版本の山だったと思う。
 結局、ボクたち二人はどの本も欲しかったのに、何も選べないでいた。すると、見かねた手塚先生が「今度できたばかりの本があるのでこれをあげよう。」といって、二人の前に差し出されたのが『夜明け城』だった。その当時の手塚先生には珍しく時代劇の単行本だった。そして、1階のアシスタント室に移って、その本にサインをしてもらった。友人HT君はヒゲオヤジを、ボクには鉄腕アトムだった。使い慣れないお弟子さんの道具だったからだろうか、ボクの本にアトムを描いているとき、ポタッと一滴、アトムの頭にインクが垂れた。先生はあわてもせず、近くにあったちり紙をこよりにして口で湿らせインクを吸い取ったが、しっかり跡が残った。その時、先生が私に何か言ったように思うが思い出せない。正直ちょっとだけがっかりしたが、今思えば大変な希少価値ものだ。何と言っても手塚先生直筆の「たんこぶアトム」だからね。
 見学の様子を写真に撮っていただき、後日送ってもらった。この時、ボクたち子供相手に優しくそして丁寧に案内していただき、写真まで送ってくださったスタッフの方は、後に手塚先生の弟さんだと知った。ありがとうございました。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時を歩く

2009年03月23日

安政のランニング

edohyaku_benkeibori_small.jpg 皇居を巡る内堀通りの歩道が、多くの市民ランナーで賑わっている。健康ブームも手伝って、ここ数年で特に増えたように思う。現役の選手や有名人のジョギング姿を見かけることもしばしば。1周5kmという切りのいい距離で、その間信号に遮られることもまい。 また、この道は地図で見ると、濠に沿っていて平坦なイメージがあるが、実はかなりのアップダウンがあり、ランニングコースとしては割りと変化に富んでいる。皇居の緑も目に優しい。そんなところが人気の所以かもしれない。
 ランナーの増加で、コース周辺の銭湯が繁盛しているようだ。仕事を終えた人たちが、銭湯で着替え荷物を預けて走りに行き、ひと風呂浴びて帰路につくという具合だ。公衆浴場が消えゆくご時世にありながら、逆に洗い場を拡張した銭湯もある。また、ランナー向けのシャワールームが開業したり、ウェアやシューズの売れ行きも好調のようで、ランニング市場はこの不況をどこ吹く風との感がある。
 安政年間に出版された歌川広重『名所江戸百景』に、このコースが描かれた浮世絵が二葉ある。そのひとつ「外桜田弁慶堀糀町」は、桜田門外から麹町方面を望む構図で、今は桜田壕と呼ばれている弁慶堀が描かれている。 東京の地形は、江戸時代のそれと比べて大きく変わっていないという話を聞く。現在の写真をデフォルメしてこの名所絵の構図に近づけてみると、お堀の有り様や道筋が同じ事に気づかされる。
 右回りにコースを走り、東京タワーを正面に見ながら皇居前広場を過ぎて桜田門をくぐると、右にカーブを描く緩い上り坂のこの風景に出会う。時代が時代なら、向こうから帯刀の武士が歩いてくる、後ろから飛脚が脇をかすめ、早馬が飛び、すれ違う駕篭かきのかけ声が自分の息づかいとシンクロする…。そんな情景を思い浮かべながら、安政のランニングと洒落てみる。ちなみにこの「外桜田弁慶堀糀町」は安政3年の出版。折しもあの篤姫が徳川家定の正室として迎えられた年でもある。

edohyakubook.jpg謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書ヴィジュアル版)
 浮世絵師は、木版の印刷技術と版元を経て作品を世に出すことでは、まさに今日のイラストレーターやG・デザイナーといえる。その時代の世相を反映しつつ人々に夢を与える職業である。この本は、安政の大地震と広重の名所絵を関連づけるところから始まる。私には著者の仮説を検証する術はないが、近代日本の幕開けが近い江戸を想像しながらの浮世絵鑑賞である。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時を歩く