2009年05月11日

キャデラック

cadillac.jpg 言わずと知れた、いま経営危機に陥っているゼネラル・モーターズ(GM)の代表的ブランドだ。また、大統領専用車としてもっとも多く供給されたモデルであり、アメリカ第44代大統領バラク・オバマ氏の専用車も供給している。
 私は特段車に興味はないが、キャデラックと聞いてイメージするのは、バカでかい車体にロケットのような巨大なテールフィンといった車だ。1950年代後期から60年代の初め、この車に対する若者たちの特別な思いが窺い知れる楽曲がいろいろあるようだが、私が最初に歌の中でキャデラックを耳にしたのは、「ガス・バッカス/恋はスバヤク(Gus Backus / Short On Love)」だった。日本だけのNo.1ヒットだそうだ。ラジオ番組で四六時中流れるのと、友人ATが歌詞を覚えたと言って歌ってくれたので、耳にこびりついてしまった。この中で早口言葉のような語りがあるが(ここを空でスラスラ歌えるというのがATの自慢だった)、ここの最後が♪a brand new Cadillac with a-white wall tires♪。これがまた妙に耳に残ってしまうのだった。
 その数年後、また違うキャデラックを耳にした。スウェーデンのロックバンド、ザ・シャムロックスの「CADILLAC / THE SHAMROCKS」。3コードロックの典型だが、こちらはカッコ良かったので当時高校の文化祭で演奏するリストに加えようとしていた。キャデラックがお金持ちでカッコいいことのステータスシンボルとして歌われている。
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2009年04月30日

理想の生活

 ここへ来てもうどれぐらい経つだろう。そろそろ何もかにも飽きてきた。欲しい物はなんでも手に入る。満員電車に押し込められて職場に向かう事もないし、人間関係の煩わしさもない。 自分が思うがままの生活が保証されている。金が欲しければ、思い浮かべただけの額がいつのまにか引き出しに入っている。いや、金なんかなくても、飲み食いはいつもツケですむ。どこかへ行きたいと思えば、どこからともなく運転手が迎えに来る。町に出れば、自分が思う理想の女性が街角に立っているし、声をかければ何処へでもついてくる。ショーウィンドウの中は、自分好みの物ばかりで、衣食住にはまったく困らない。毎日が日曜日、贅沢三昧の日々だ。ただ友人ができないね。夜になるとどこへ帰るのかみんな煙のように消えてしまう。でも贅沢いっちゃいけない。友達も恋人もできなくたって、それ以外のことはなんでもござれだ。孤独がなんだってんだ。でも、もう退屈で退屈で、孤独で孤独で、いったいこの先、どれほど続くのだろうか。 いっそ死にたいよ。あ、そうか、また死ぬなんてことはできないな。死ぬどころか、怪我ひとつしない風邪ひとつひかないんだから。気晴らしにどこかへ出かけよう。ほらね、もう家の前に車の止まる音が。
 ねぇ、運転手君。
 今頃になって思うんだが、天国とはなんて退屈なところなんだ。
 「え? 旦那さん、ここは地獄ですよ。」
 !・・・

60年代に放映されていた、アメリカのSFテレビドラマシリーズ「ミステリー・ゾーン(原題:The Twilight Zone)」の中で、朧気に記憶に残っているシーンをもとに脚色した。第何回目の何というタイトルだったかまったく覚えていないが、この内容がいつまでも忘れられない。幸せとは何かを考えさせる話だ。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢の中で

2009年04月22日

たんこぶアトム

手塚治虫とボクたち ある年の夏。練馬春日町から自転車に乗って富士見台まで会いに行った。一緒に漫画を描いていた友人HT君と、初めは他数人で訪ねて行ったと思う。いつもお弟子さんたちに玄関払いだった。「今、先生は忙しいから私が描いてあげよう。」と言ってスケッチブックに絵を描いてボクたちに渡した。内心(そんなの欲しくないなぁ)と思った。
 日を違えて、今度はHT君と二人だけで行った。またまた、前と同じようにお弟子さんに「先生は今忙しいから」と玄関払い。すごすごと門の外に出ようと歩いていた時、背後から「お〜い、君たち!」と呼ぶ声がした。振り返ると、2階から手塚先生が笑顔で手招きしていた。その時の手塚先生の声色と、建物の白さは今でも忘れていない。
 お弟子さんたちとは違うスタッフの方に案内されたボクたち二人は、1階の制作室にあった棚の原画を何枚も何枚も食い入るように見ていた。それから2階の手塚先生の部屋に通され、アイスクリームをご馳走になりながら話をした。そして図書室に入り、「ここにある本、2冊以上あるものならどれでもあげるよ。」と言われた。壁に設えた背の高い本棚が、入り口から奧まで手塚先生の本だけでびっしりと埋まっている光景に目を見張りながら、ボクたち二人は、もう興奮で、緊張で、うれしいやら、どうしていいやら、どれにしようかと・・。貴重な初版本の山だったと思う。
 結局、ボクたち二人はどの本も欲しかったのに、何も選べないでいた。すると、見かねた手塚先生が「今度できたばかりの本があるのでこれをあげよう。」といって、二人の前に差し出されたのが『夜明け城』だった。その当時の手塚先生には珍しく時代劇の単行本だった。そして、1階のアシスタント室に移って、その本にサインをしてもらった。友人HT君はヒゲオヤジを、ボクには鉄腕アトムだった。使い慣れないお弟子さんの道具だったからだろうか、ボクの本にアトムを描いているとき、ポタッと一滴、アトムの頭にインクが垂れた。先生はあわてもせず、近くにあったちり紙をこよりにして口で湿らせインクを吸い取ったが、しっかり跡が残った。その時、先生が私に何か言ったように思うが思い出せない。正直ちょっとだけがっかりしたが、今思えば大変な希少価値ものだ。何と言っても手塚先生直筆の「たんこぶアトム」だからね。
 見学の様子を写真に撮っていただき、後日送ってもらった。この時、ボクたち子供相手に優しくそして丁寧に案内していただき、写真まで送ってくださったスタッフの方は、後に手塚先生の弟さんだと知った。ありがとうございました。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時を歩く

2009年04月21日

スズメが近い

suzume.jpg
スズメは桜の花びらをよく食べる。葉桜となってしまい地面に残った花びらをついばんでいた。
木漏れ日の桜の木の下で千鳥ヶ淵公園にて。

【説話】昔々、燕と雀は姉妹であった。あるとき親の死に目に際して、雀はなりふり構わず駆けつけたので間に合った。しかし燕は紅をさしたりして着飾っていたので親の死に目に間に合わなかった。以来、神様は親孝行の雀には五穀を食べて暮らせるようにしたが、燕には虫しか食べられないようにした。−『雀孝行』
 しかし皮肉なことに、スズメは農民に追われる羽目になり、一方のツバメは国から厚い保護を受けることになった。感慨深い話ではある。
 ここ2〜3年、気になっていることがある。気のせいかスズメが近い。足下近くまで寄ってくるものもいる。前にイギリスのTV番組で、公園のスズメが人の手から餌をついばんでいるのを見たことがある、日本のハトのように。日本のスズメとはずいぶん違うものだなと思った。稲作の日本では、長い間害鳥として扱われてきたのだから無理もない。 日本では今でも、限定的に農家での駆除が認められ、また狩猟対象鳥類の一つだそうだ。ただ、雑食性のスズメは雑草の種子や虫を食べるため、駆逐しすぎると逆に害虫の被害が増えるとのこと。−餌場の田畑と、巣を作る木造家屋の減少などにより、最近20年足らずで最大80%、半世紀前との比較では90%も減少したとみられる(毎日新聞09年2月3日)−とあるので、そんなに減っているのかと心配にもなる。
 小さい頃にパチンコの標的にしたり、怪我をしたスズメを助けるつもりで一晩で死なせてしまったり、大人になってからは居酒屋でスズメの焼き鳥で一杯と、ろくな目に遭わせていないのである。近くに寄ってくるスズメを見ながら、心の中で申し訳ないことをしたなぁと思う。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬

2009年04月11日

千鳥ヶ淵緑道2009

千鳥ヶ淵緑道2009

 都会にはありとあらゆる光が溢れている。桜にもライトアップ。昨年まではハロゲンランプによる照明だったが、今年からは太陽光蓄電による発光ダイオードの照明になった。省電力・環境配慮型を謳っている。これが豊かさの証明(まさに照明)というものだろうか。そして道には土がなくなった。桜の根を守るためか、バリアフリーのためなのか、コンクリートで覆われてしまった。
 ここは毎年、桜が満開の頃に満月が訪れます。ライトアップ終了後の子の刻時、満開の桜の下で、月明かりに誘われた物の怪たちと静かに語らうのが楽しみでもある。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 春夏秋冬

ジョージア

 缶コーヒーのことではなく、アメリカの州のことでもない。2009年3月、西アジアの共和国グルジアから日本国政府に対し、日本語におけるグルジアはロシア語読みに基づいており英語読みのジョージアに変更してほしいと申し出があったとのニュース。グルジアの英文綴りが、Georgiaだと初めて知った。キリスト教に由来する名称のようだが、外国の人名にGeorgeという名前はよく見られる。
 そのグルジアで思い出す女性シンガーがいる。最初に歌声を聞いたのは、ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの伝記映画『ミス・ポター』(Miss Potter, 2006 日本公開2007)のエンド・クレジットだった。まるで子供が歌ってるような澄んだ歌声を聴かせてくれたのが、後に知ったケイティ・メルア(Katie Melua)だ。2005年にプロモーションで来日したようですが、この時までまったく知らなかった。
 ケイティ・メルアは、旧ソ連グルジアで生を受け、子供時代を政情不安なグルジアとロシアのモスクワで過ごし、その後UKに移住。イギリス、ロンドンでのデビューとなったようだ。歌は、フォーク調、ブルース調、ある時はジャズのような、エキゾティックな風貌と合わせて不思議なテイストだ。ライブでの演奏スタイルは、ギターでの弾き語りや、年季の入ったベテランプレイヤーを従えてといった、いたってシンプルな構成である。

katie.jpgケイティ・メルア / ピクチャーズ
これがベスト盤というわけではないが、映画『ミス・ポター』の主題歌「ダンスを教えて」と、彼女の最初のシングルヒット「ザ・クローゼスト・シング・トゥ・クレイジー」のアコースティック・ヴァージョンを収録した日本仕様盤。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 音の記憶

2009年03月23日

安政のランニング

edohyaku_benkeibori_small.jpg 皇居を巡る内堀通りの歩道が、多くの市民ランナーで賑わっている。健康ブームも手伝って、ここ数年で特に増えたように思う。現役の選手や有名人のジョギング姿を見かけることもしばしば。1周5kmという切りのいい距離で、その間信号に遮られることもまい。 また、この道は地図で見ると、濠に沿っていて平坦なイメージがあるが、実はかなりのアップダウンがあり、ランニングコースとしては割りと変化に富んでいる。皇居の緑も目に優しい。そんなところが人気の所以かもしれない。
 ランナーの増加で、コース周辺の銭湯が繁盛しているようだ。仕事を終えた人たちが、銭湯で着替え荷物を預けて走りに行き、ひと風呂浴びて帰路につくという具合だ。公衆浴場が消えゆくご時世にありながら、逆に洗い場を拡張した銭湯もある。また、ランナー向けのシャワールームが開業したり、ウェアやシューズの売れ行きも好調のようで、ランニング市場はこの不況をどこ吹く風との感がある。
 安政年間に出版された歌川広重『名所江戸百景』に、このコースが描かれた浮世絵が二葉ある。そのひとつ「外桜田弁慶堀糀町」は、桜田門外から麹町方面を望む構図で、今は桜田壕と呼ばれている弁慶堀が描かれている。 東京の地形は、江戸時代のそれと比べて大きく変わっていないという話を聞く。現在の写真をデフォルメしてこの名所絵の構図に近づけてみると、お堀の有り様や道筋が同じ事に気づかされる。
 右回りにコースを走り、東京タワーを正面に見ながら皇居前広場を過ぎて桜田門をくぐると、右にカーブを描く緩い上り坂のこの風景に出会う。時代が時代なら、向こうから帯刀の武士が歩いてくる、後ろから飛脚が脇をかすめ、早馬が飛び、すれ違う駕篭かきのかけ声が自分の息づかいとシンクロする…。そんな情景を思い浮かべながら、安政のランニングと洒落てみる。ちなみにこの「外桜田弁慶堀糀町」は安政3年の出版。折しもあの篤姫が徳川家定の正室として迎えられた年でもある。

edohyakubook.jpg謎解き 広重「江戸百」 (集英社新書ヴィジュアル版)
 浮世絵師は、木版の印刷技術と版元を経て作品を世に出すことでは、まさに今日のイラストレーターやG・デザイナーといえる。その時代の世相を反映しつつ人々に夢を与える職業である。この本は、安政の大地震と広重の名所絵を関連づけるところから始まる。私には著者の仮説を検証する術はないが、近代日本の幕開けが近い江戸を想像しながらの浮世絵鑑賞である。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時を歩く

2009年03月14日

冬眠器

 私はもう何十年もサクラの花をリアルタイムで見ていない。サクラが咲く頃は、まだ冬眠器の中で眠っているからだ。生命維持に必要な栄養はチューブから補給してもらい、特別に調合されたプラスチック羊水の中でゆったりと夢を見ている。自分は寒さが苦手だ。毎年花見の宴会に誘われるが、サクラの咲くころは、まだ寒い、埃っぽい、騒々しい、の三拍子でどうも気乗りがしない。そんなことで断っている。
 友人たちは、そんなに寒いのが嫌いならいっそ暖かい地球に引っ越したらどうだと勧めるが、この生まれ故郷のムーンベースから離れるには忍びない。それに、寒いのは嫌いだが四季の変化は感じたい。どの地域でもほとんど四季の差が無くなった極端に温暖化した今の地球より、ここの環境組成システムの方がまだマシだ。毎年、システムが木枯らしモードになるころ、この安価で高性能なJAPAN製冬眠器の世話になる。
posted by ヤマガタ・シュンイチ at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢の中で